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4度の脱藩、積み重ねたキャリア
成功を信じ、挑み続けた軌跡

萩原様写真

株式会社リクルートジョブズ出身

経営戦略研究所株式会社 経営コンサルタント

プロフィール

現在、経営戦略研究所株式会社で歯科業界に特化したコンサルタントとして活躍している萩原氏。ベンチャーの立ち上げを2度経験している。35歳にして4度の脱藩。キャリアを積み重ねてきた異色の経歴の持ち主。そんな萩原氏の挑み続けた軌跡をたどる。

何もないベンチャーを選んだファーストキャリア

ファーストキャリアの選択。決断したのは、大手企業の内定ではなく、多くの裁量権を与えてくれるベンチャー商社だった。

「ベンチャー商社から『何でもやってほしい、ただし何もないよ。』と言われました。この言葉が当時の私にとってかなり魅力的だったんです。大手も何社か受けて内定は頂いていたんですが、それよりも自分の権限が多く、決裁権がある会社で働きたいと思い、あえて一社目はベンチャーの商社を選んで入社しました。」

悩み抜いて決断した道。しかし、その道は決して明るいものではなかった。

「内定をもらい翌年の4月に入社するまでの間に社内が険悪化してしまい、社員はほとんど退職し、8名で会社が運営されていました。会社は崩壊寸前、僕が元々やる予定だった海外事業部も撤廃を余儀なくされていました。任されたのはやりたいと思っていたことではなく、家電量販店での営業でした。家電量販店に行き営業をかけて、店舗のレイアウト変更をするような仕事です。アルバイトとなんら変わりがありません。想像とはかけ離れた仕事の毎日でした。」

それでも萩原氏は、傾きかけた企業で成功を信じながら、目の前の仕事に全力投球し、次なるチャンスを探し続けていた。

ベンチャーでの失敗、23歳で起業

組織の限界に直面し、転職や起業を意識するようになったという。そして、外語大学卒業の経歴を持つ萩原氏に巡ってきたのは2つのチャンス。一つは、アメリカのITベンチャー企業においてイラストレーターを使用する日本人クリエイターの席。もう一つは、スリランカ人と紅茶の輸入販売をする会社を立ち上げることだった。萩原氏はどちらを選択したのか。

「紅茶の輸入販売会社の立ち上げをセカンドキャリアにしようと決めました。アメリカのIT企業も立ち上げの段階だったのでやれることは限りなく多かったのですが0から立ち上げを経験できる事業に魅力を感じました。そして国内における紅茶販売なら最悪収入なしでも生きてはいけるという思いで始めました。」

見ず知らずのスリランカ人と会社を立ち上げるキャリアを選択した萩原氏。会社の立ち上げは決して華やかなものではなく、地道な努力と我慢の連続だった。

「紅茶を輸入して、毎日ケーキ屋に飛び込み営業で商品を売っていました。戦略なんてありません、ただがむしゃらに飛び込み営業していました(笑)。しばらくして、紅茶を販売するのではなく、紅茶を飲んでいただくという体験を提供することにしました。すると、徐々に売り上げは伸びていきました。しかし、町のケーキ屋さんで売れる紅茶の量はたかが知れています。地道な売り上げでは安定せずに自転車操業になるなと感じました。そして、一定の売り上げが期待できる都心のデパートや結婚式場などへのB to Bのアプローチに変えていきました。そこから最終的に約80社と契約が取れて、年商4000万円位までいきました。地道に努力した成果が実ったと感じることができました。」

相方のスリランカ人は日本語もままならなかったため、萩原氏が営業から経営まで一手に担っていた。一人で会社を担うことに不安がなかったわけではない。

「孤独でした。当時、同期と自分との生活の質に差が出てくることにも焦っていたことを覚えています。同期は初任給20万前後で手当てや賞与もある一方、僕の手元にあったのはたったの3万だったんです。移動経費やパソコンなどの設備を買うお金、全部自分で用意しなければいけません。同期は飲みに行く場所が学生時代に活用していた飲み屋から洒落たバーに変わっていって、お金にも余裕がありました。友人が異なるフィールドで急成長しているんじゃないかと焦りました。そんな時は友人の境遇に目を向けずに、自分を見つめ直そうとありとあらゆる成功哲学の本を読んでました(笑)。『絶対大丈夫だ!今の苦難は絶対成功につながる!』当時の自分を振り返ると本当にやばいですね。崖っぷちにいたんだと懐かしくなります。」

孤独と戦いながら苦労して軌道に乗せた会社。収益も十分。
しかし、スリランカ人とは文化の違いによるルーズな考え方が合わず、大手の取引企業との契約もクレームにより終了することが出てきてしまった。このまま2人ではやっていけないと感じたため、経営権を全て譲渡し、苦労して立ち上げた会社から離れることを決意した。



大きな組織で働く初めての経験

サードキャリアで選択したのはリクルート。ベンチャーと起業を経験した末に初めて大きな組織に足を踏み入れた。リクルートを選択したのは、紅茶の販売で培った“営業経験”が一番活かせると考えたからだった。

「リクルートでは営業の型を学びました。今までは自己流だったので、初めて人から洗練されたノウハウを教えてもらうことができました。もちろん今まで独自で培ってきた営業経験を活かすこともできました。

リクルートでも飛び込みの営業を任されていたのですが、これまでの紅茶販売の経験も活かして、新規の顧客獲得に貢献することができました。そして、エリアのチーフを任されるまでに成長しました。サードキャリアでリクルートに入ることに不安もあったのですが、ハンディキャップになるどころか、積み重ねてきた経験は大いに活きてきました。どんな経験も自分の糧になるのだと実感しましたね。そして後に、グループを統括するマネージャーにならないかという話をいただきました。」

成果を出し、仕事の手応えも十分。大手企業の安定した役職まで見えてきていた。そんな時、取締役からの紹介で、リクルートの出資で設立したばかりの新しい会社で立ち上げメンバーとして働いてみないかというヘッドハンティングの声がかかった。

「その時はかなり悩みました。リクルートではある程度やればできることをわかっていたので…。だけどやはり自分で事業を創りたい、会社を起こしたいという気持ちが込みあがってきて、転職を決意しました。」



再び起業からのスタート、無から価値を生む仕事

また1からのスタート。再び荒波に飛び込んだ。
ヘッドハンティングを受け入れると待っていたのは、リクルートと同じように人材の採用方法を提案する、ツナグ・ソリューションズという会社の立ち上げだった。フォースキャリアは再び起業の道だった。

今までも何度も決断を繰り返してきた萩原氏。決断してからの後悔はなかったのか。

「最初は新規クライアントが出来るまでは大変でした。ツナグ・ソリューションズという人材の採用コンサルティングを提案する会社だったのですが、電話で営業をかけるたびに『え?なに?』『え?つなぐ…?』という状況でした。今までは『リクルートです。』と言うと『ああ、リクルートさんね。お世話になってます。』となっていたので。完全無名で営業することを久しぶりにやって、難しさを再確認しました。」

名の知れた大手企業で営業を経験した後の無名企業での営業は、自分の無力さや社会の厳しさを痛感させられるものとなった。

「しかも紅茶と違って、目に見えない採用方法のコンサルティングという形のないものを提案していたのでさらに大変でした。『何してくれるの?』『採用手法をアドバイスさせていただきます。』『じゃあ、いらない。リクルート来てるから。』と電話口で終わることもよくありました。無から価値を生むことの大変さを改めて痛感しましたね。一社一社に対して仮説を立てて、この会社ならこんな課題がありそうだから、こんなネタでアプローチしてみよう等とアプローチフレーズをパソコンによく打ち込んでいました。断られることの方が多く、精神的にかなりしんどい時もありました。」

その後は、会社としての大手契約も進み、当時従業員13名だったベンチャー企業は200名を超える中小企業へと変貌した。個人としても一定の売り上げは確保できるようになり、安定した収入を得ていたが、萩原氏の心に引っかかるものがあった。

「このまま採用領域だけをしていくことが自分にとってよいことなのか。」

確かに採用領域は企業にとっては会社を作る上での礎ではあるが、経営の方向性を決めるまでとは言わない。むしろ経営の方向性が決まってから新たな人材採用へと向かうことがある。

「経営に携わりたい。」

そんな想いがふつふつと湧き上がってきていたのだ。

ベンチャー立ち上げを経験して6年目の秋、萩原氏は新たな自分探しを始めた。その時32歳であった。



自分の直感を信じて歩むキャリア

たまたま見つけたサイトで経営戦略研究所という会社が目に止まった。それが現在の会社、歯科業界に特化した経営コンサルティングを行う会社だ。

「ホームページを見たとき、今の時代にはあまりない文字数たっぷりのサイトで怪しいな、と思いました(笑)。『超120%でやり切ります!』みたいな社長のメッセージが書いてあるんですよ。何か心に刺さりました。全然かっこよくないのがまた珍しいと思いました。でもそんな文面が逆に気になって、怪しいと思いながらも恐る恐る面接に行きました。」

何か気になる。自分の直感を信じて面接に臨むと、待っていたのはさわやかで人柄の良い社長だった。話しているうちに怪しいという疑念は取り払われ、社長の信念に惹かれていった。この会社の足りていない部分を自分でなんとかしてみたいという想いも湧いてきた。

飛び込んでみた全く新しい世界。歯科医院コンサルティングの先駆けである代表岩渕龍正が築き上げた膨大な量のナレッジを学習することになった。寝る時間はほとんどない。途中でドロップアウトしてしまう人も出るほど過酷な挑戦だった。

「これを乗り越えないと全部がパーになっちゃうんで、ここは絶対意地でも越えないといけない壁だと思いました。だからもうやるしかない、と腹をくくって頑張りました。」

そして高い壁を乗り越え、コンサルタントとしてデビューすることができた萩原氏。今では常に16社程度のクライアントを任される、信頼されるコンサルタントになっている。クライアントは半年で医業収入が倍になっており、彼自身も前職の倍近い社会的評価を得ている。

様々な経験を積み、様々な世界を見てきた萩原氏、今後は何を見据えているのだろうか。

「現在は、会社の無限大の可能性に自分の全てを捧げたいと思っています。目標は会社を通して、お客様に価値を提供することです。今、弊社のコンサルティングのキャンセル待ちが40社程度あります。まずはこれをクリアにして、2020年までには20人のコンサルタントを採用して育てあげたいです。その後は、そのメンバーでクライアントを幸せにして、メンバー全員の生活も幸せにしたいですね。

個人的には、今はかなりハードに働いているので、来年からはコンサルタントとしての仕事を減らしていって、会社のマネジメントにシフトしようと思っています!」

これまで何度も選択の岐路に立ち、チャンスをつかみ、挑戦し続けてきた萩原氏。仕事に邁進し続けてきた萩原氏も落ち着ける場所が見えてきたようだ。



脱藩者へのメッセージ

最後に悩める脱藩者へアドバイスを語ってくれた。

「踏み出す勇気と、そこにあるチャンスを絶対に逃さない事が重要です。チャンスは一瞬しかないので、常にアンテナを張っていないと気づくことができません。弊社の採用ページも胡散臭いと思って見逃していたら今の僕はいないので。何かあるんじゃないかなと、アンテナに引っかかったものは捕まえてみることがすごく大事だと思います。」

35歳にして4度の脱藩。成功も失敗も経験した。常に貫いてきたのは、成功を信じ、決して諦めることなくチャンスを探し求め、挑み続ける姿勢。萩原氏は、自身の人生を以てこの言葉を体現しているように思う。

(取材・執筆/社ゆう)

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