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若き脱藩者が語る“真の安定”とは?

佐野様メイン画像

株式会社インテリジェンス出身

株式会社サーキュレーション経営コンサルタント

プロフィール

今回は、株式会社サーキュレーションで最年少の経営コンサルタントとしてご活躍中の佐野弘晃氏にお話を伺った。佐野氏は新卒でインテリジェンスに入社、人材事業・新規事業立案を担当した。彼の働く姿勢、そして熱い志に迫る。

他人事とは思えないドラマの様な中小零細企業の現実

私は東京都足立区で主に婦人向けのバックや雑貨のアパレルOEMの零細企業を営む両親の元で生まれました。兄弟はおらず、当時は両親の帰りが遅かったので、いわゆる鍵っ子でした。それ故の寂しさからなのか、ガキ大将の名にふさわしい少年で、仲間に囲まれていないと落ち着かない性格で、日々遊びに没頭していました。

ちょうど小学校6年生〜中学に差し掛かった頃で、比較的順風満帆だった私に大きな転機が訪れました。中学受験で進路が決まるとほぼ同時期に、両親の離婚が決まりました。建てて間もない戸建から母親と共に引越しをし、やっと平穏な暮らしが出来ると思った矢先、父の会社が倒産をすることになったのです。

私立中学である故の高い学費、独立したての母1人の収入、まだ仕事もできない年齢の私。ドラマで見る様な、もぬけの殻になった父の事務所や家を目の前にして、涙が止まりませんでした。

「本当の安定ってなんだろう」と思ったのはこの時でした。「こんなはずではなかった」という経営者の姿、同時に、親である二人の姿をみて、同じ様な事を繰り返してはならないと強く感じると共に、その意志を何とか継ぎたいと思った経験が私の原体験になりました。

家族や社員が本当の意味で幸せになれる経営者になることが夢となり、そして自分の体験を踏まえて経営者をサポートしたいという思いが自分の進路を決定づける要因となりました。

学生時代、感謝しきれないくらい様々な周りのサポートがあり、大学も奨学金で進学。思いはあれど経験も無い私がまずそこで目指したのは経営コンサルティング会社でした。

本当の“安定”を求めて

前述の話は自分が悲劇のヒロインだと思うこと無く、自分を奮い立たせられる大きな機会と捉えていました。その矢先の2009年、リーマンショックとともに大学へ進学することとなります。

その当時、メディアでは連日の大手企業の統合や再編、倒産等によるリストラの報道。名門大学に進学し、エリート街道を歩んでいた先人が景気に左右され、進路を絶たれている現実に直面しました。

就職活動時期に差し掛かり、経営コンサルティング会社に行きたいという思いは変わりませんでしたが、周りの友達の多くが大手企業を目指す中で、大手にいけば安心という思いは一切ありませんでした。むしろ、市場価値に評価連動する個力が大事だと。

その個力とは⑴セールス、⑵リーダーシップ・マネジメント、⑶事業開発と考えました。プロ経営者という職種がありますが、最低限この3つのポイントがあれば、すくなくとも両親の意志を継ぐ様なステータスまではいけるのではないかと。

そこで選んだのが、比較的裁量の大きいベンチャー且つ中小企業向けの経営コンサルティング会社でした。当時は焦点を絞り5社程度しか受けていませんでした。その一つに、インテリジェンスの事業部内で、アドバイスだけでは無く、実際に専門高いスキルや英知を持ったプロ人材を企業に派遣するというモデルの部署がありました。

課題を要件定義だけで終始しがちのコンサルティング業界。そこから実際に実働をともなった支援を出来ることは経営者にとって大きな貢献ができると確信をしました。大手に入る意思はなかったものの、結果としてその事業部目当てに内定承諾をし、入社を待ちました。

不本意な部署配属からの思考のパラダイムシフト

インテリジェンスは入社後、数日間の研修期間を経て、配属が決まります。同期入社は述べ130名。私が目指していた部署の配属は3名の枠が設けられていました。内定後、その部署ではインターンを経験し、人事部にはその部署に入れないと自分は辞めると固く決意表明をしていたので、当然入れるものだと考えていました。その配属発表の日、私は全く関係の無い部署に配属されることとなるのです。それは中途人材の採用コンサルティング部門でした。最初は自分の名前と同じ同期がいるのかと動揺をすり替えようとしましたが、そんなわけも無く、人事部への再三の抗議をしても配属は覆りませんでした。

意気消沈していると、偶然にも一つ上の学年で新人賞を取った先輩と鉢合わせになりました。

入社直後の社員総会で壇上に立っていた方と記憶しており、興味本位から声を掛けると、すぐに意気投合。その先輩は自分と似た様な思いや意志をもっていて、また偶然にも同じ部署に配属されることになり「俺がお前を一番にしてやる」と言われました。

不本意な配属ながら、私はまず、「一番」になることに拘ろうと考えました。それは環境以上に大切なことではないかと。

私が将来的に目指すべき過程の中で、当然環境や境遇を選べない事が幾度とあるだろう。まずは、この組織で一番になれなければ、どこにいっても何もなしえないに違いないと考えを改めました。

配属後、寝食を忘れ、その先輩に週末、深夜を問わず相談を持ちかけては、仕事のことだけにフルコミットしました。結果として、新人賞はとれなかったのですが、目標に対してのフルコミットをするスタンスはこの時に形成されました。あの当時の出会いは千載一遇のチャンス。声を掛けなければ、今の自分はなかったかもしれないとそう思います。

同志との新規事業立ち上げ

そしてインテリジェンス入社2年目、また大きなチャンスを掴みました。

インテリジェンスには、年に一度、チャレンジファンドという制度がありました。全社から有志で新規事業の公募を数回の選考に分けて、実際に事業化させる仕組みです。この話が全社に展開されてすぐに、その尊敬する先輩と共に応募意思を固めました。各事業部の役職者のエントリーが多い中で、私たちは最年少チーム。同社がこれまで着手してない領域、かつマクロで見て大きなインパクトがあるマーケットでの新規事業を考え、選考に臨みました。お互い集中すると止まらない性格なので、通常の業務をこなしながら、議論を何度も交わしました。そうして、500応募の中、3応募が残り、結果は最年少で選出されることに。新人賞には代えがたい、新しい成功体験を積むこととなりました。

※その手がけた事業「MyRefer」が2015年9月14日の日経新聞にて取り上げられました。

自分に素直になってみる

成功体験の余韻に浸る間も無く、私はサーキュレーションに転職する決意をしていました。理由は、お金も人材も十分すぎる環境であったこと、また新規事業の立ち上げメンバーとして参画することで、本来携わっていた領域や経験から少し遠ざかってしまうことの2点でした。前者の理由は特に自分にとって重要でした。大手ならではの、条件がリッチでブランドもある中での立ち上げは、本来の意味のスタートアップとは別物ではと。

一方、サーキュレーションの代表久保田は、同チャレンジファンドの前身の一期生であり、そこから部署の立ち上げ支社長を経験し、独立。インテリジェンスを離れてからも、私たちの相談にのってもらっていました。

当時のインテリジェンス内の事業よりも周辺領域への進出も魅力の一つ。また私の意志に一致する事業であり、かつ看板の無い裸一貫での挑戦が本当の意味で安定につながるのでは無いかと考えた私は、経験も無い中無理を言って、すぐに入社意志を固めました。私の決心は揺るぎないものでした。そんな中、一番反対したのは、それまで大変お世話になったその一つ上の先輩でした。説得するまで時間がかかりましたが、最終的には「お前が決めたなら、頑張ってこい。」と言ってもらい、今まで以上に関係性の良い間柄になりました。

2015年の1月にサーキュレーションに入社。早いもので1年が経ちますが、中小企業を中心に社長、役員と日々対峙させていただいています。

脱藩経験者からの一言

前職の環境や仲間には感謝しています。その経験と幼い頃の原体験の中から、自分がやりたいビジョンを言語化し、そして今は自分に素直でいることができています。「個力を上げる」という要素が必要条件であった私にとって、サーキュレーションでの環境はうってつけだと感じています。

前職の同期からは、「以前より生き生きしているね」と言われるようになりました。
周りがどうこう言っているからと誰かの人生を生きるのでは無く、とにかく自分に素直でいいと思います。

また国内は労働力の減少、またその労働力がテクノロジーに代替される時代。大手起業に入れば一安心ではない時代になったことは、過去が証明しています。
ひとりひとりがビジョンややりがいをもってビジネスに従事出来れば、能動的にスキルを体得し、生産性があがるだろうと考えています。

ドラマの様なハッピーエンドで終われる経営者、社員、家族を増やし、日本社会全体を活性化することが、今の自分の仕事のやりがいに繋がっています。

(取材・文/荒木真歩)

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